水害と隣り合わせの町「丸森町」の歴史と、あのとき

水害と隣り合わせの町「丸森町」の歴史と、あのとき

2019年10月に令和元年東日本台風は猛烈な台風へと発達し、静岡県に上陸。
東北地方や東日本を中心に、記録的な大雨をもたらしました。
宮城県最南端の町、丸森町では700年に1度の被害と言われるほどの過去最大の被害をもたらしました。
この記事では、丸森町の概要や災害の歴史、当時の被害概要について振り返ります。

丸森町と水害の歴史

舟運の要にもなった、阿武隈川(あぶくまがわ)

宮城県の最南端に位置する丸森町(まるもりまち)は、人口約13,000人の町です。仙台からは車で約1時間の場所に位置し、豊かな里山と町を流れる一級河川「阿武隈川」によるどこか穏やかな空気が漂う町です。

阿武隈川は、古くから重要な物資の輸送のために利用されていました。江戸時代では年貢米の輸送を、明治に入ってからは木材・木炭・石材などの輸送が盛んに行われていたとされています。この舟運は昭和初期まで栄え、舟運の発展とともに船場と接続された新しい町場も発展し町には豪商も現れるようになりました。

水害と町場替え

町への発展に影響をもたらしていた阿武隈川ですが、実はその影響はプラスの側面だけではありませんでした。町では昔から阿武隈川近くで幾度となる水害が発生していたのです。

江戸時代の町場(城下町)は阿武隈川沿いにあり、1700年代前半には数度の洪水が発生したと言われています。家屋が流出したり、人的被害や飼っていた馬の被害などが発生したようです。当時から水害の発生を防ぐために、水門や土手の強化など様々な対策が講じられてきました。

しかし、1799年に大風雨のためにまたもや洪水が発生。丸森町場の土手を押し切り、家屋が流失。

それを機に1800年代前半には町場替えを行い、現在の県道45号線を中心とした町場ができあがりました。
丸森町は阿武隈川の雄大な自然に恩恵を受けながらも、その自然の猛威と常に隣り合わせの歴史を持っていたのです。

©OpenStreetMap

参考:19世紀初頭丸森町の「町場替」と2019年台風19号被害について|東北大学災害科学国際研究所 准教授 川内 淳史

町政史上最大の被害をもたらした、令和元年東日本台風


2年前の2019年10月12日。水害と隣合わせであった丸森町に、町政史上最大の被害をもたらす令和元年東日本台風が猛威を振るいました。

令和元年東日本台風の概要

10月6日に南鳥島近海で発生した令和元年東日本台風は、マリアナ諸島を西に進みながら大型で猛烈な台風と発達。その後小笠原近海を進み、12日には北よりに進路を変え、東海道沖を北北東に進みました。12日19時前に大型で強い勢力で静岡県の伊豆半島に上陸した後、関東地方13日未明に東北地方の東海上に抜けたのです。

(1)大型で非常に強い勢力をもった台風の接近による多量の水蒸気の流れ込み
(2)台風北側の前線の形成・強化及び地形の効果などによる持続的な上昇流の形成
(3)台風中心付近の発達した雨雲の直接的影響

この3つが1都12県において大雨特別警報が発令されるほどの大雨をもたらした原因でした。


図:台風第 19 号による記録的な大雨の気象要因のイメージ図

出典:令和元年台風第 19 号に伴う大雨の要因について|気象庁

短時間での記録的な集中豪雨。そして支流の決壊

台風の影響で発達した雨雲。丸森の中には山間地のため、もともと上昇気流によって雨雲ができやすい地域もあります。しかし、この日はいつにも増して雨は強く、そして長く降りました。11日午後3時から13日午前9時までの総降水量は丸森で427㎜を観測し、10月1か月分の平均値の2~3倍の雨量となりました。特に筆甫地区では、594.5㎜となり既往最大の豪雨を観測しました。阿武隈川の支流である5つの小河川は普段はちょろちょろとしか水が流れていませんが、それらの小河川で水位が急激に上がり、18箇所もの決壊が起こったのです。
町では10月12日の午後2時から避難準備情報が発令。午後3時20分には避難勧告が発令され、各地区で避難所の開設もされていました。

一夜明けた13日。見えてきた被害の全貌

翌日13日、町の中心部は冠水しその中には町の中枢機能である丸森町役場もありました。水が引くまでに2日間を要しました。町役場近くに排水ポンプ施設もありましたが、短時間に大量の雨が降ったことにより排水が追い付かず、内水氾濫が発生してしまったのです。

また小河川の決壊や土砂崩れ、道路の冠水などの被害が徐々に見えてきました。10名の尊い命が犠牲になった他、1名が以前行方不明に。また救助件数は50件、97名にのぼりました。
町内の住家被害は合計1,062件に上り、全壊が101件、大規模半壊が205件、半壊が511件、準半壊が11件、一部損壊が234件となりました。

その被害総額は、総額472億8千万円にも上ると試算がされました。

参考:丸森町復旧復興計画本編 第2章|丸森町

復旧活動

全国から自衛隊や他自治体からの応援が、また発災から3日後の10月16日に丸森町社会福祉協議会が災害ボランティアセンターを開設し、全国から多くのボランティアの方々が丸森町へ駆けつけました。
床上浸水をした建物では、家具、家電などの生活用品や畳などが浸水してしまい多くの災害ゴミが発生。災害ゴミは町役場前や各地区の学校グラウンドが仮置き場となり、日に日にそのグラウンドは埋まっていきました。

▲10月18日の町役場前グラウンドの様子

▲10月23日の町役場前グラウンドの様子

被災から半年。ボランティアセンターの閉所と復旧・復興計画

翌年2020年4月末にはボランティアセンターは閉所。約半年間で総勢約16,750人のボランティアの方々が全国から丸森町のためにかけつけて、被災家財、土砂・泥等の搬出、家屋等の清掃、被災廃棄物の運搬や炊き出しなど多くの方の力を借りて復旧活動は進んでいきました。

また、その2か月後の6月には、丸森町復旧・復興計画が発表されました。この復旧・復興計画は令和2年度~令和6年度の概ね5年を計画期間とし、令和4年度までを「復旧期」令和4年度以降を「復興期」として位置づけています。また町のホームページでは、復旧・復興の進捗具合がグラフで可視化されているなど、透明性を持ちながら復旧復興活動は進んでいます。

参考:概要版 丸森町復旧・復興計画|丸森町
参考:復旧・復興の進捗状況|丸森町

2年経ったいま。これからの丸森町は。

河川・道路の復旧工事、全壊住宅の取り壊しと新設など、徐々に以前の景観を取り戻しつつも、未だ復旧復興活動は続いています。
その一方で、町は被災を皮切りに一歩一歩新たな道を開き前進を続けています。
2021年には齋理屋敷をはじめとした町の観光施設が続々とリニューアルオープン。
さらに、町民の有志によるコミュニティやプロジェクトが草の根のように広がっており、丸森町はこれまで以上の賑わいを取り戻そうとしています。

本特集では、丸森町で活動をしている方々の「あのとき、いま、そしてこれから」を、取材し全国へと発信をしていきます。

令和元年東日本台風は、町や町民にどのような影響をもたらし、丸森町はこれからどのような道を歩んでいくのでしょうか。
町長、行政職員、町民、民間事業者など、様々な視点から丸森町のあのとき、いま、これからを見ていきます。

 


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